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講師プロフィール


音音おとね)アノ教室講師

髙野 真実子 MAMIKO TAKANO

東京都世田谷区出身

洗足学園音楽大学ピアノ科卒業

中学校・高等学校教諭1種免許(音楽)取得

在学中はピアノ科教授 羽鳥栄、現在はピアニスト 大井美佳に師事

オーストリアでピアニスト イェルク・デームスのマスタークラスに参加。

川口市でピアノ指導を再開。


経 歴

初めまして。

音音おとねピアノ教室、講師の髙野真実子です。

 

開校以降、幼児からご年配の方まで、多くのピアノを楽しみたいと言う生徒さんの気持ちを後押しできるよう、サポートしている私ですが、ここへ来るまでには多くの出来事がありました。

 

【ピアノが大好きだった小学校~中学校時代】

東京都世田谷区で生まれ育った私。

幼い頃の私は、集団生活があまり得意ではなく、下校後は絵を描いたり、本を読んだり、ビーズアクセサリーを作ったり、といった一人遊びばかりをしいる子でした。

 

ピアノと出会ったのは、その後家を建て替えるタイミングで、ピアノ教室へ通い始めたからです。

父が会社経営を始めるタイミングで、家を建て替えたこともあり、マイピアノをすぐに手に入れられるなど、恵まれた環境にあったと思います。

 

一人が好きな私とピアノとの相性は良く、ピアノはすぐに、かけがえのない友達になっていきました。

家へ帰ってピアノを練習する時間がとにかく楽しく、夢中で指を動かす日々。

 

おかげで、バイエル上下巻を半年で修了し、その後の教本も早く修了してしまい、中学1年に上がる頃にはツェルニー50番やショパンを弾き始めていたほどです。

 

小学生の頃の発表会ではいつも学年最後の演奏者に選ばれ、5年生の時には6年生を抜いて、小学生の部の最後に弾いた事もありました。

 

大好きなピアノで自分の存在を認められるようになり、「ピアノの先生」になりたいという気持ちが芽生えます。

その夢を叶えるためにも、音大に行きたいと考えるようになりました。

 

そんな私の気持ちに応えるように、両親が様々な音楽会に連れて行ってくれたこともあり、音楽への興味が日に日に増していきます。

 

特に覚えているのは、故・安川加寿子先生のピアノリサイタルでした。

演目は、自分でも弾いたことがある曲だったのですが、モーツァルトとショパンの演奏がとにかく素晴らしく、プロの凄さを思い知ることとなったのです。

 

帰宅した私は、すぐにリサイタルで演奏していた曲の楽譜を引っ張り出し、覚えている限り先生の演奏のまね弾きをしました。

ピアノと真剣に向き合い始めた私を見て、その変わり様に両親が驚がくしていた様子は、今でもはっきり覚えています。

 

その後、中学生になった私は、合唱コンクールの伴奏も務めるようになりました。

音楽の先生からも高い評価を頂いた伴奏の経験は、大きな自信となり、「音大へ行きたい」という決意がますます高まっていきます。

 

その結果、

「高校受験をするなら、まずは音大付属高校から受験しよう」

という考えにたどり着きました。

そして、忘れもしない中学2年の2学期最後の日。

音大受験レッスンを専任で行っているピアノの先生のお宅に、母と一緒にごあいさつへ伺ったのです。

 

【厳しさに耐えた中学校~高校時代】

希望に満ち、挑戦した「音大受験レッスン」

ですが、その内容も弾く曲も、趣味で習っていた今までとはまったく違うものでした。

特に、経験したことのないソルフェージュは未知の世界で、最初は戸惑いの連続でしたが、なんとかレッスンについて行こうと必死に学びます。

 

音大受験に特化したレッスンの日々は、これまで好きなように弾いてきた私にとって、とても厳しいものでしたが、「ピアノ先生になりたい」という想いはぶれることなく、目の前課題へ真摯に向き合いました。

 

そうして、レッスンを重ねた末、音大付属高校のピアノ科に見事合格!

音高に入ってからは、さらにキツく、厳しいレッスンが待っていました。

ですが、途中であきらめることなく、音楽漬けの3年間を過ごし、念願の音高付属、音大ピアノ科に入学することができたのです。

 

【将来の自分に不安を感じ始めていた大学時代】

小学生のころからずっと変わらずに夢見ていた「ピアノの先生」

 

念願の音大に入り、グランドピアノも手に入れた私ですが、ここへきて頭が不安でいっぱいになります。

音大へ入れば、夢へ一直線。

「もう何も迷うことは無い」

と信じていたのに、明確な将来がまったく見えないのです。

 

すでに、自宅でピアノ指導を始めていましたが、実際に“先生”の立場になってみても、モヤモヤとした感情が心へ残ります。

そしてこの不安は、学年が上がるにつれ、より高まっていきました。

 

卒業してからも、果たして

「このままずっと音楽を続けて行くのか?」

「音楽を一生の仕事にするのか?」

「ピアノの先生という立場で、このまま年老いていくのか?」

など、音楽の世界だけへ身を置くことに明確な「YES」が出せず、

「本当にこれでいいのだろうか?」

と、自問自答し続ける日々が続きます。

 

それでも時間は無常に過ぎ、やがて4年生になった私。

卒業後の進路や、就職などを、いよいよ明確にさせなくてはならない時期がやって来ます。「私が進むべき道はどこなのだろう?」

決めかね、迷っていた私ですが、このタイミングで良い出会いがありました。

一般企業に就職された、ピアノ科の先輩にお会いする機会を頂いたのです。

 

当時、私はオフィスオートメーション(OA)と言う言葉をよく耳にしていました。

先輩は、まさにその最先端企業へ就職しており、バリバリと仕事をこなしている人。

その姿は、キャリアウーマンとして、とても輝きに満ちていました。

 

これまではピアノ一直線でやってきた私ですが、先輩から興味深いお話をいろいろ伺ううちに、

「音楽とは違う、別の世界も見てみたい」

と思う気持ちが湧き上がります。

 

ピアノ以外のスキルを身につけておくことは、将来の自分が自立する時や、迷った時に必ず役立つはず……。

ピアノへの熱い思いは胸にありましたが、

「ピアノ以外の世界へ踏み出すなら今しかない!」

という気持ちにも後押しされ、あえて違う道を選択することにしました。

 

【時代に翻弄され続けた社会人時代】

私が大学を卒業した当時はバブルの真っただ中。世間は何かと輝いていました。

 

就職活動でつまずくこともなく、無事に就職を果たした私。

大手企業内でワープロのインストラクターとして社会人生活をスタートさせます。

その後、パソコンが主流の世の中になると、次はパソコンのインストラクターを努め、Microsoft公認の講師の資格を取得しました。

 

しかし、その直後にバブルが崩壊。

社会全体の時間が止まったような、不穏な空気が流れる時代が何年も訪れましたが、ピアノとパソコン、二つの武器を持っていたことが、心の大きな支えとなりました。

 

その後、スキルを大いに生かせるIT時代が訪れたこともあり、スキル向上を図るため思い切って転職。Microsoft公認のサーバー資格なども取得し、知識や経験を丁寧に重ねていきます。

 

しかし、仕事を覚えれば覚えるほど、頼られる場面が多くなっていきました。

その結果、仕事の占める割合が大幅に増え、プライベートな時間がなくなり、次第に心も体も疲れきっていったのです。

 

それでも、

「いざとなれば、私にはピアノがある」

そう思っていました。

 

ところが、この頃から父の会社経営が思わしくなくなり、生まれ育った家を売却する事になります。

当然、愛用のグランドピアノも置けなくなり、売却という選択肢を迫られることに……。

 

社会人になってからも、プライベートでピアノは続けていました。

一度休止していた指導も、いずれ再開したいと考えていました。

 

ですが、実家やピアノがなくなってしまっては、ピアノを弾くことも、教えることもできません。

長年の夢が、思いがけない理由でついえる様子を目の当たりにし、

「もう立ち直れないのでは……」

と思うほどのショックでいっぱいになりました。

 

自分の力ではどうにもできない事。

分かっていても、ピアノが実家から運び出されて行くのを見送った時は、

「もうピアノは弾けない、帰る場所もない……」

という、惨めでやりきれない想いがこみあげ、涙が止まりませんでした。

 

しかし、不幸はそれだけでは終わりませんでした。

ITの波に乗っていたはずの勤務先までもが経営負担に陥り、人員削減のため社内でリストラが始まったのです。

 

幸い私はリストラ対象にはなりませんでしたが、人員が減った分のしわ寄せがやって来ます。

さらに、同僚から、足元をすくわれる衝撃的な出来事もあり、それが原因で人間不信に。

 

体力的にも、精神的にも極限に達していた体はもう限界で、やがて会社を休むようになりました。

 

この頃、自立し一人暮らしをしていた私は、帰る実家もなく、勤め先にも辛くて行けず……。という状態に。

今、何を、どうしたら良いのか、答えが一つも見つからず、先の見える兆しはありませんでした。

 

体調はどんどん悪化していく一方でしたが、それでも、

「ここで負けてなるものか!」

という気持ちを、常に持ち続けていられたのは、困難を乗り越えた経験があったからかもしれません。

 

【結婚を機にピアノを再開】

様々なできごとで、ボロボロだった私を助けてくれたのは、一人の友人でした。

友人の紹介で、今までのスキルを活かせる会社へ、転職することができたのです。

 

仕事の人間関係やストレスから解放された私は、徐々に体調を回復させ、健康を取り戻していきます。

心が元気になった頃、結婚の縁にも恵まれ、川口市へ引っ越すことになりました。

 

結婚当初は慣れない生活で右往左往していましたが、次第に環境に慣れ、生活が安定してくると、頭に浮かぶのはやはりピアノのこと。

「またピアノを弾きたい!」

という思いが日に日に強くなり、自宅にアップライトピアノを購入することにしました。

 

「久しぶりにピアノが弾ける……」

それがただ嬉しくて、ひたすら弾きまくる毎日。

 

昔の勘を取り戻し始めると、心がじわじわ潤ってくることに気付きます。

「私はやっぱりピアノが好きなんだ!」

とあらためて実感し、再びピアノレッスンへも通い始めるようになりました。

 

こんな気持ちになれたのは、ピアノとの別れやピアノと違う世界で働いたことなど、

今までのいろいろな体験があったからでしょう。

 

大学までは当たり前に隣にいたピアノですが、紆余曲折があったからこそ、

「ピアノが弾けて良かった!再開できて良かった!」

と言う喜びや、感謝の気持ちを持てるようになっていったのです。

 

ピアノは、同じ曲を弾いても、人によって音色がまったく異なります。

今、私が出す音は、これらすべての経験が込められているからこそ、自分だけの特別な音になりました。

「同じ気持ちを、自分だけの音があることを、ピアノを愛する人へ伝えていきたい」

そんな思いが、ピアノとの再会で芽生えていったのです。

 

【グランドピアノ購入!ピアノ教室を再スタート】

そして、時間はかかりましたが、私は新たにグランドピアノを購入することができました。

念願だったピアノ教室を再スタートさせ、「ピアノ講師」として指導の道を、本格的に歩み始める第一歩です。

 

ピアノは、個人の人生経験と感情が音になる、素晴らしい楽器。

ということを実感した私は、ピアノ指導を通じて、「ピアノを弾く喜び」「ピアノの持つ楽しさ」を広めたいと強く考え出します。

そのために必要なこと、それもピアノが教えてくれると信じていました。

 

20178月イェルク・デームス マスタークラスに参加……そして】

転機はやはり、ピアノを通じてやって来ました。

音楽の国、オーストリアでは、毎年世界中のプロの演奏家達が参加する、ピアニスト「イェルク・デームス先生」のマスタークラスがあります。

 

そこへなんと!デームス先生の直弟子であり、現在私が師事しているピアニスト「大井美佳先生」にご紹介頂き、私自身がレッスンへ参加させて頂けることになったのです。

 

オーストリアでは、夢のような時間の連続でした。

中でも忘れられないのが、デームス先生のご自宅で、先生から直接レッスンをしていただいた時のことです。

「あなたは素直に受け入れられる柔軟さと、優れた感性を持っている」

という嬉しいお言葉を貰い、今後ますますピアノと真摯に向き合っていこうと決意します。

 

私には、ピアノだけと過ごしてきただけでなく、一般企業で働いた経験や、大切なものを失くした経験、ピアノと再会し巨匠ピアニストに指導してもらえた経験がある。

だからこそ、仕事や家事、育児、介護などで一生懸命な女性の気持ちがよく分かります。

 

そんな私がピアノを通じてできること。

それは、ただ音楽を教えるのではなく、習う人の心に触れ、その人だけの音を生み出すお手伝いなのだと気付きました。

 

もし、ピアノに興味を持っているのでしたら、一度「音音おとねピアノ教室」の音に触れてみませんか?

 

「大切なお子さまが音楽に触れる第一歩に」

「忙しい自分のちょっとした息抜きに」

「子どもの手が離れてからの趣味に」

 

どんな方の気持ちにも寄り添える講師となれるよう、私自身も今後益々技術に磨きをかけていきたいと思っています。

その他資格・特技・趣味

アロマコーディネーターの資格を取得しており、リップクリームや化粧水を作ったり、その日の気分に合う精油を使ってアロマポットを焚いたりなど、いろいろ生活に取り入れて楽しんでおります。

バラの花を咲かせるのも好きで、今玄関前には7種類のバラの鉢植えがあります。

毎年春と秋には見事な花を咲かせてくれて、とても癒されています。